そう小学校の先生に注意された
何かをグループでやるときに
班のメンバーの顔ばかり見ていると
自分の意見に集中しなさいと
私はそれから少しずつ変わって
同じ班の藤井くんや加藤さんや
他の人の意見だけではなくて
自分を持つようになった
それでもやっぱり
人は見てしまう
人がどう感じているのか
何を思っているのか
感じすぎて心が疲弊する
その結果自分の心配と
人への心配が交わり合って
結局何に心が痛んでいるのか
自分でも整理がつかない始末
自分は自分
人は人
たしかにそうだし割り切れたらよいのだけど
やっぱり愛している人の
痛みは痛いし悲しみは悲しい
先生に注意されても
それは私が私の捨てられないところ