私のアイデンティティライブラリ

実家に帰ると自慢の本棚がある。

私が10代の頃から読んでいた本が保管されている。ドキドキしながら読み進めた小説や、泣いたマンガ。全く知らなかった世界への扉みたいだった哲学書までいろいろ。以前の私は、はまったらとことん飽きるまで読みあさるエネルギーに満ちていた。私の小さいライブラリはとても刺激的だった。

今もこれらの本たちの一部が、日常の中で私に語りかける。こういう答えもあるよーと言っているみたい。こういう観点からも考えなきゃ!って叱責されることもある。

全てはなかなか引越しできないので、実家に保管されているものも多い。これを眺めてみると、私の思考のもとになっているのだなあ、と自分の頭の中を少し垣間見た気分になる。もちろん全てのこの素晴らしい本が私の頭脳に叩き込まれているわけでは残念ながらないのだが。

読んだ気になっているけれど、開いてみると読んだ形跡のない本もある。大学のころ課題だった本も、以前は難解で理解ができなかったけど、今はもう少し楽に読めるかな。

本を読みすすめる、読む事でもっと読むし考える。そんな能動的な活動を今こそもう少し大切にしたいなあ、と改めて思う。そうだ。そうしよう。今すぐそうしよう。

掛田智子

mokumoku的梅雨の過ごしかた

mokumoku studio ともこです。

太陽容赦ないと思う日もあれば、昨日と今日は東京も雨。

昨日はバケツをひっくり返したような雨。 空を見上げても落ちてきそうな重いグレーの空。 しとしと水が降ってくる。こんな日は意外と眩しい。晴れの太陽がギラっと光線を届けるのではなくて、雲の間から光の粒がコンスタントに降り注いでくる感じ。


この季節、何とも憂鬱な気分にさせられるものです。

以前はこんな日に負けずに元気でいようと明るい色の服を着たり、髪型を変えてみたり。 でも最近はお天道様の言いなりになって何が悪い、とその憂鬱さに身を委ねてみたり。 天気に気分が左右されるのは嫌いだったけど、こうやって空の色や湿度に影響されるのも、地球人として良いじゃないか、と思う今日この頃です。忙しいと空の色を見ても、良くも悪くも心が動かない事がある。今はおかげさまで時間があって、心にたっぷり隙間がある。心を今日の空の色で描いても良いじゃないか。青空ばかりが答えではないよ、と思う日々。

こんな強い雨が降って大丈夫かな、と庭の植物たちを見る。 なんのなんの、逆にいきいきしているね。しっかり雨の恩恵を吸収している。緑が眩しいぐらい。
今日収穫したきゅうり はその場の環境に合わせて形を変えていたよ。 大きくなってくれたんだね。ありがとう。

掛田智子

ベジの野望

最近お野菜熱が止まらない。

世の中の動きとは裏腹に、いつものように、太陽をあびてすくすく成長した野菜たちは色とりどり。そんなお野菜を中心に料理するのが好きだ。

太陽の光を葉脈まで余すことなく吸い込んだ野菜たちをいただくと、私達も太陽の恩恵を体に取り込まさせてもらっているみたい。

焼き野菜をマリネにしてみたり、味噌とヨーグルトに漬けてみたり、発酵させて乳酸菌野菜をつくってみたり。

野菜や草や木や、こうなるとああなる、とか、これしたらああ思われる、とかなくて。ただただ実って、成長して。アクセサリーも、アイシャドーしなくても美しくて。

家庭菜園で成長する野菜たちを観察してみると、スーパーで野菜を買うのとはまた違う感動がえられる。こいつの花かわいいな。葉っぱにこんな毛がびっしり生えているんだ。こんなふうに垂直に生えるんだね。

すべて学術的にロジックが説明されていて、不思議なことなんてなんにもないんだろうけど、そんな不思議にもう少し浸っていたい。噛みしめるから。

掛田 智子