ノートをつける

絵を描いたり、デザインをしたり、日々のあれこれを電子的なデータで整理保存していると、不便なこともある。保存はできても、そこに何を保存しているのか思い出せない。そういう時、物理的なノートがいいこともある。

文房具をやたら買っていた時代があって、今でも手放せないノートが棚のあちらこちらにある。整理しきれないあれこれを勝手な分類でノートごとに整理している。

元々、気に入って買ったものだから、何となくノートの佇まいを見た時や思い出した時に、書いたときの時間が蘇る。背表紙に記憶が剥き出しになった状態。

「家計簿」「アイデア妄想帳」「読書メモ」いろいろある中で、このノートは「書いたことが本当になるノート」。

4年くらい、節目々々で開いては、その時やっていることの棚おろしと、今後の予定や目標を書いている。見返すたびに、結構な確率で実現しているから「書いたことが本当になるノート」という位置付けにしている。

年末に2020にあったことを書く。そしてページをめくって、次の見開きに2021のことを書く。

見返すのが、一番楽しみなノートでもある。

ちから

見ているつもりでも、本当は見えてないこと。

いつも見慣れているはずの自分の部屋も、思い出してみると細部が曖昧だったりする。

昼に食べたご飯の添え物の色も、記憶の中と実際の色は違うかもしれない。

確かだと思っても解釈するのは脳のメカニズムだから、あちこちに誤りが散りばめられている。
誤りというのが言い過ぎなら、イメージを補完するための部品と言ってもいい。そのおかげでリアリティが生まれる。

映画のシーンを模写する。何回も観た映画でも、描くと今まで意識しなかった照明効果や場面の意図とか、それまで気づかなかった作り手の細工に気づく。面白い映画には理由がある。

目の前にあるものも、頭の中にあるものも、描くことで確かめたい。

ちから