クラスター

ハッタリもずっと言い続けていると、本当になることがある。
そのことならアメリカでも指折りの彼の場合、今回はそうならなかった。

去年の春、大金持ちの主人公が出てくる漫画を描いた。キャラ設定は粗雑で、台詞は矛盾だらけ。

物事にはいろんな面があるけど、ある一面だけに光を当て続けると、虫眼鏡で太陽の光を集めてるみたいに焦げ付いてくる。
だけど人と同じことを言っているのは安心だし、楽しい時もある。たぶん、教室で好きなテレビ番組の話をするみたいに。

そして絶対にこれは正しいということに飛びついて、ささやく。
だけど絶対に正しいことの連鎖が、世界をひどく矮小にしているような気もする。

もし、ハッタリばかり言う人物が国を動かす政治家であるのなら、たまったものじゃない。ツッコミの大合唱。
だけど日本ではヒール役の彼がリングから退場しても、問題の本質は彼にはないことに気づかないかもしれない。

世の中で起きることは、どんな陰謀もないのに、何となくそういうことになってしまっている時がある。

クラスター。

ライトに照らされ一箇所に集まりたがる習性を自粛したい。いつも誰かのささやきが、もっともらしく響いている。

ちから

くも

たとえば、雲を描いているとき。

こう描けば、雲っぽくなるという型がある。それを反復して描き続きる。描いているうちに、引く線が遊んできて、雲というフレームからだんだんブレてくる。「雲」から派生した形が複数できてくる。

「雲」自体よりも、そうしたズレを感じることが楽しくて、ずっと線を引き続ける。正しい形からの逸脱。解答の後回し。そして、この表現の余剰から生まれるものの方が、雲が持つイメージに近かったりする。

クラフト紙にフリクションボールペン_「雲」から派生した線

形を変えて、その形が、その名前の外に名前を持つ。雲の面白さ。ちゃんと生きようとしても、寄り道ばかり。

ちから

絵コンテのお仕事

とある国レベルのイベントの演出絵コンテのお仕事。才能を見つけてくださったOさんと繋げてくださったAさんに多謝。

昔、ジブリの絵コンテ集を何冊か見たときも思ったけど、時間と空間の演劇的表現に、ふだん使わない想像力が刺激される。

ちから