石岡瑛子 ”血が、汗が、涙がデザインできるか”

昨日、mokumoku studioで東京都現代美術館で開催中の石岡瑛子さんの”血が、汗が、涙がデザインできるか”に行ってまいりました。

石岡瑛子さんの作品は映画”The Cell”で知り、当時から野性的で洗練されているとてもセクシーな衣装が大好きでした。

展覧会では彼女の初期の作品から亡くなるまでに関わってきたプロジェクトが展示されており、彼女の作品だと知っていたものから、これも石岡さんだったんだーと再認識するような、なんか見た事あった!みたいな作品までずらりと紹介されていました。

「血が、汗が、涙がデザインできるか」という私には心に響きまくるタイトルで、タイトルに惹かれて見に行ったと言っても過言ではないぐらい。

彼女のモットーである”Original, timeless, revolutionary”は、作り手としてそうそう、そうでありたい!と平手打ちを食らった気分です。

もっと彼女の人間としての生き方や、裏話など知れたらもっとよかったのだけど。

でもただ単に綺麗な衣装、美しいデザイン、というものではなくて、すごく毒々しくて、誰の真似もしていなくて、きっと作品が彼女の生き方そのものなのだろう、羨ましいなあ。と思いました。

石岡さんのみならず、たくさんの作品はオンラインで見つけることができるけれど、やっぱり展覧会という見る感じるためにデザインされた場に行くのはネットでは置き換えられない。

mokumoku studio ともこ

クラスター

ハッタリもずっと言い続けていると、本当になることがある。
そのことならアメリカでも指折りの彼の場合、今回はそうならなかった。

去年の春、大金持ちの主人公が出てくる漫画を描いた。キャラ設定は粗雑で、台詞は矛盾だらけ。

物事にはいろんな面があるけど、ある一面だけに光を当て続けると、虫眼鏡で太陽の光を集めてるみたいに焦げ付いてくる。
だけど人と同じことを言っているのは安心だし、楽しい時もある。たぶん、教室で好きなテレビ番組の話をするみたいに。

そして絶対にこれは正しいということに飛びついて、ささやく。
だけど絶対に正しいことの連鎖が、世界をひどく矮小にしているような気もする。

もし、ハッタリばかり言う人物が国を動かす政治家であるのなら、たまったものじゃない。ツッコミの大合唱。
だけど日本ではヒール役の彼がリングから退場しても、問題の本質は彼にはないことに気づかないかもしれない。

世の中で起きることは、どんな陰謀もないのに、何となくそういうことになってしまっている時がある。

クラスター。

ライトに照らされ一箇所に集まりたがる習性を自粛したい。いつも誰かのささやきが、もっともらしく響いている。

ちから