懐かしくてきゅんとするなくなって立ちすくむ

絵日記#こんコロ4月30日「懐かしくてきゅんとするなくなって立ちすくむ」
絵日記#こんコロ4月30日「懐かしくてきゅんとするなくなって立ちすくむ」

大好きで仕方なくて、無くなってしまった時にあまりのショックに事実を処理しきれず、その場に立ちすくんでしまった経験が、みなさんはあるだろうか。

私はある。

広島金座街にあったパフェのツチイ。パフェ専門店で、考えつくことのできるありとあらゆるパフェを楽しむことができた。チーズケーキがどんと乗っているもの。フルーツで埋め尽くされたもの。モンブラン。チョコレート。グラタンなど食事系も置いてあった。そこはまさに夢の国で、店頭のサンプルを見ているとわくわくして目移りする。

アンデルセンの、なんだろ、あれ。アップルパイに甘いそぼろみたいなのがふりかけてあって、もはや手で取り出すことはできず、入れてもらった容器からフォークで食べる。サクトロのりんごと、妙に食べづらいそぼろの組み合わせが最高だった。

本通りの裏通りにあった洋品店、B.B. chan。店長の女性の独特の空気感が扱っている服や小物に映り込んで、東京のどんなところを探してもあの世界観を作り出せる店はそうないはずだ。探しても見つからない、そんな商品が置いてあった。

おばあちゃんちの近くのパロット。小学校から帰宅後、おじいちゃんおばあちゃんと時間を過ごしていた私は、ここに置いてあるフライドポテトなんて、大人への階段だった。メロンソーダも。当時興味なんてなかったコーヒーも。

代わりなんてできない。愛おしいよ。

赤い球団のこと彼らがもたらしているもの

絵日記#こんコロ4月29日「赤い球団のこと彼らがもたらしているもの」
絵日記#こんコロ4月29日「赤い球団のこと彼らがもたらしているもの」

私はカープ ファンだ。
カープグッズなどを持っていると、やはり東京においては「カープ女子ですか?」と聞かれることが多い。その時は「いいえ、筋金入りのカープ ファンです」と答えるようにしている。

元々父が野球をしていて、もちろんカープ ファンであるということが大きい。 彼がもっと若かった時は気性が荒く、カープが負けると必ず機嫌が悪い。 子供ながらにカープの試合の結果を気にし、父との距離を推し量っていた。

数年前に何十年ぶりに優勝した時は涙した。 こんなに良いことが人生で起こって良いのか。やっとやってくれた。応援してきて良かった。

野球は人生を教えてくれる。流れのスポーツだ。 流れとやらはなかなか力づくではやってこない。流れがあれば小さな力でも大きな力になる。少しの心の弱さがほころびを作り出し、大きな傷となる。心の強さは獅子をも威嚇し跳ね返す。大きなウェーブが来た時に全員乗れるか。いや、小さい波でもコツコツ大切にしたい。

赤い人たちが負け続ける日は、私もエネルギーの低下を感じる。
朝起きて心が重い。なぜかと分析すると連敗が続いている、あるいは嫌な負け方をした日の次の日などが多い。そんな切ない日には、私は1人じゃない、世界に何百万といるファンの人たちも同じ気持ちでいると思いを馳せる。

でもつまり、結局、父が悲しいと私も悲しいのだ。
父のために明日は勝ってよ。

4と5は両想いで7はキザ野郎

絵日記#こんコロ4月28日「4と5は両想いで7はキザ野郎」
絵日記#こんコロ4月28日「4と5は両想いで7はキザ野郎」

子供の頃は、いくつぐらいまでだろう、手のひらが自分のプレイグラウンドだった。
その得体の知れない物体を見つめ、始まったばかりの生命みたいな感覚と、自分という訳のわからない感覚と、そこにある身体とよばれる1部を恐れては、たまに忘れ、眺めてはぼうっと考えとは呼べない何か抽象的な物語を断片的に、その手のひらに投影していた。

持て余していたのかもしれない。世界という物が覆いかぶさって、大人は優しくも、訳がわからなかった。

考えとは呼べない抽象的な物語の断片は、数字から始まった。
1はしっかり者で、3は甘えん坊。4は綺麗なお姉さんで5は何をやらせても卒なくこなす男前。6はおてんばなおばさんで7は数学のできる貴族。8はパーマ頭で9は魔女。登場人物が様々なドラマを繰り広げる。それが手のひらを見つめて始まり、世の中という自分以外の物を忘れさせてくれた。自分さえも必要なかったのかもしれない。自分という物が1番怖かったのかもしれない。怖くなったら、手のひらを眺めて数字の劇を観る。