見ているつもりでも、本当は見えてないこと。

いつも見慣れているはずの自分の部屋も、思い出してみると細部が曖昧だったりする。

昼に食べたご飯の添え物の色も、記憶の中と実際の色は違うかもしれない。

確かだと思っても解釈するのは脳のメカニズムだから、あちこちに誤りが散りばめられている。
誤りというのが言い過ぎなら、イメージを補完するための部品と言ってもいい。そのおかげでリアリティが生まれる。

映画のシーンを模写する。何回も観た映画でも、描くと今まで意識しなかった照明効果や場面の意図とか、それまで気づかなかった作り手の細工に気づく。面白い映画には理由がある。

目の前にあるものも、頭の中にあるものも、描くことで確かめたい。

ちから

くも

たとえば、雲を描いているとき。

こう描けば、雲っぽくなるという型がある。それを反復して描き続きる。描いているうちに、引く線が遊んできて、雲というフレームからだんだんブレてくる。「雲」から派生した形が複数できてくる。

「雲」自体よりも、そうしたズレを感じることが楽しくて、ずっと線を引き続ける。正しい形からの逸脱。解答の後回し。そして、この表現の余剰から生まれるものの方が、雲が持つイメージに近かったりする。

クラフト紙にフリクションボールペン_「雲」から派生した線

形を変えて、その形が、その名前の外に名前を持つ。雲の面白さ。ちゃんと生きようとしても、寄り道ばかり。

ちから