本屋の神様
本屋さんが好きだ
昔から好きだ
小さな本屋から大きな本屋まで大好きだ
なぜだろう
本屋に入って興奮して
あれもこれも手に取ってみたい
するとどうしても
トイレに行きたくなる
私の知的好奇心とその本屋さんの素晴らしきセレクションそして購買欲がマッチした時は
贅を尽くして本を選ぶ
買ってすぐ読まなくてもよい
と、崇拝する作家の高橋源一郎さんも言っていた
積ん読(つんどく)するのだと
本も熟成させて読まれる時を待つのだと
それはワインのよう
実家に帰った時自分の本屋に向き合い
まだ読んでない本に着手することがある
そしてヒットする
この本は今この歳になった私に読まれるのを待っていたに違いない
あの時読まなくてよかった
今日はどんな本を道連れにしよう
ランドセルの底でくしゃくしゃになってるプリントとか
なぜだかわからないけどついてしまった嘘や
何か家族にとって大切なものを壊してしまった時や
なくしてしまった傘や
トゲトゲがついたボールがずっと心のなかにひそんでいて、たまに影を出しては暗くさせた
心配で世界が終わるかのように感じた
そのトゲトゲボールが
長い時間をかけて形を変える小石のように
だんだんまあるくなって
大丈夫だよ
世界は相変わらず回っているし、この部屋もとてもあたたかいって言っているようで。
それより大切なものができたのか?
ちがう。そんなんじゃなくて。
世界はとてつもなく不安定で、とんがった二等辺三角形の上でまわっていて
そこではその大切で大切でないもの達があふれていて
なくされて焼かれて潰されて忘れられて
それでもあたたかいと安心するし
時間は止まっているように感じる