クラスター

ハッタリもずっと言い続けていると、本当になることがある。
そのことならアメリカでも指折りの彼の場合、今回はそうならなかった。

去年の春、大金持ちの主人公が出てくる漫画を描いた。キャラ設定は粗雑で、台詞は矛盾だらけ。

物事にはいろんな面があるけど、ある一面だけに光を当て続けると、虫眼鏡で太陽の光を集めてるみたいに焦げ付いてくる。
だけど人と同じことを言っているのは安心だし、楽しい時もある。たぶん、教室で好きなテレビ番組の話をするみたいに。

そして絶対にこれは正しいということに飛びついて、ささやく。
だけど絶対に正しいことの連鎖が、世界をひどく矮小にしているような気もする。

もし、ハッタリばかり言う人物が国を動かす政治家であるのなら、たまったものじゃない。ツッコミの大合唱。
だけど日本ではヒール役の彼がリングから退場しても、問題の本質は彼にはないことに気づかないかもしれない。

世の中で起きることは、どんな陰謀もないのに、何となくそういうことになってしまっている時がある。

クラスター。

ライトに照らされ一箇所に集まりたがる習性を自粛したい。いつも誰かのささやきが、もっともらしく響いている。

ちから

ノートをつける

絵を描いたり、デザインをしたり、日々のあれこれを電子的なデータで整理保存していると、不便なこともある。保存はできても、そこに何を保存しているのか思い出せない。そういう時、物理的なノートがいいこともある。

文房具をやたら買っていた時代があって、今でも手放せないノートが棚のあちらこちらにある。整理しきれないあれこれを勝手な分類でノートごとに整理している。

元々、気に入って買ったものだから、何となくノートの佇まいを見た時や思い出した時に、書いたときの時間が蘇る。背表紙に記憶が剥き出しになった状態。

「家計簿」「アイデア妄想帳」「読書メモ」いろいろある中で、このノートは「書いたことが本当になるノート」。

4年くらい、節目々々で開いては、その時やっていることの棚おろしと、今後の予定や目標を書いている。見返すたびに、結構な確率で実現しているから「書いたことが本当になるノート」という位置付けにしている。

年末に2020にあったことを書く。そしてページをめくって、次の見開きに2021のことを書く。

見返すのが、一番楽しみなノートでもある。

ちから