鏡を見る時間が足りない

絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」
絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」
絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」

10代の頃はいつまでもいつまでも鏡を見て過ごしていられた
自分を魅力的だと思っていたし、さらに魅力的になるにはと鏡を覗き込んだ
鏡を通して見ていたものは自分であり、同時に自分ではない何かだったのだろう

手鏡でなくてはならない
自分が1番魅力的に見える角度があり
その角度に手鏡を調整し自分を見つめた
見たくないもの いらない要素は見えないように

それは近視眼的で
自分との対話をする時間でもあり
自分という鏡面を通して
どこかにいってしまうことでもあった

なぜか安心した
広大なこの草原で
未開拓な場所があるこの地球で
進んでも進んでも終わりのない あるいは終われば飲み込まれてしまうこの宇宙で

10cm先に映る自分は自分であり
肉体と精神を持ち
この意識と呼べるものが入っており動いている
それは産み落とされたこの世で唯一の
しがみつくことのできるもの

大人になった私は
鏡を十分に見ていない

お気に入りの角度で
自分をもう一度見つめるといい

絵日記「こんコロ」延長宣言

mokumoku studioキッチン

絵本とアート制作で生活していこうと、去年の4月1日付けで税務署にmokumoku studioとして屋号を申請した矢先。1回目の緊急事態宣言が発表されてあれやこれや。今は3回目の宣言真っ只中。この期間、昨年はドキュメンタリー漫画を、今回は絵日記「こんコロ」を毎日アップしている。

展示や人と会ったりというのが制限され、人の流れも滞りがち。実物の作品をギャラリーなどで発表するというのが厳しい状況。去年はそんな中でも漫画のほか、オンライン販売の企画に参加したり、絵本の原作4本を作ったり、絵描きとして表現の実験を繰り返す。

デザインとイラストの仕事では満足がいくほどではないが、ウェブに関わるお仕事、定期的な企業案件などに恵まれ、相方(tomoko kakeda)にも助けられながら暮らしている。

お仕事をもらえるきっかけにもなったドキュメンタリー漫画「こんなコロナなご時世ですが」ー4月11日から5月6日まで1人1エピソードで26のお話。日英バージョン計104枚(煩悩の数の手前)。ページ数だけ見ると週刊少年ジャンプの漫画家よりもかいていることになるんじゃないか。作品はアメリカのコミックジャーナルなどで取り上げられたりと反響もあった。

” ニュースでは報道されないような非日常の日常 ” をテーマにした漫画。今読み返すと、友人知人が主人公ということもあるかもしれないが、中々しみじみとして日々の些細なことを大事にしようと気持ちが沸き起こる。ご協力いただいた人たちのことを時々思い出しては感謝しています。

そして、3回目の緊急事態宣言では流れすぎさる日々を記録したいとtomokoと共作で絵日記を残すことに。さすがに他の制作や仕事をやりながら、去年のように1日4ページ漫画をかくのはしんどいので、今回の落とし所として絵日記という形にすることにした。自分たちでモチーフを選ぶので、これならインタビューの工数を削減できるし、描く分量が少ないので無理がないように思えた。

具体的に発表することを考えるとウェブだけでなく、最終的には手にできるモノも作れたらいいよね、という軽いトーンで検討。後でそのまま印刷することを想定して雑誌でよく使われるB5判の画に、文字を埋め込み編集して、の絵日記化。テキストはテキストとして投稿した方が読みやすいし、翻訳や検索のしやすさもあったりで有意義だが、当初はあえて不便なフォーマットを選択した。

基本はtomokoが文を書き、僕が絵を描き文字を載っける。この文字を載っけるのが絵を描く上で、やはりどうにも気になるし労力的にも大変、、ということで2度目の宣言延長の6月からは画像とテキストそれぞれ単体のシンプルな形にしよう。それでも三十数話分の絵日記の実践で、絵と文字を主体にデザインすることで、どんな絵にどんな効果が生まれるのか複数サンプルが出来て勉強になった。結果オーライ。

こんなにも延長することになるとは、コロナ禍と緊急事態宣言。宣言中は絵日記を続ける。これは引きこもりがちな暮らしを共にするパートナーとの意思疎通、感情バッファーとしても密かに役立っている。

非常時にはこれまでの日常で通用していたルールは役に立たない。線は引き直す、それが出来ずに糸がもつれてしまった、こんなコロナなご時世ですが。

人ごとじゃない。想定外な出来事に感性を開き、変化を求める表現者でいれたらいいなと思う今日この頃、です。

ちから

mokumoku studioキッチン
コーヒーを淹れて作業は小休止