私のお葬式には薔薇色の装いで

絵日記こんコロ6月3日「私のお葬式には薔薇色の装いで」
絵日記こんコロ6月3日「私のお葬式には薔薇色の装いで」
絵日記こんコロ6月3日「私のお葬式には薔薇色の装いで」

なぜなぜなぜ
そんなもんなんです
それが社会の成り立ちなのです
忘れたくないんです
違和感があるんです

みんなスマホに目を落として
電車の扉に吸い込まれて
誰かが作った当たり前を生きる

上座におきゃくさま
新装開店胡蝶蘭
エスカレーターは左に立ってください

そんなに強固なものでしょうか
私がありったけの力でパンチしても

思わされてるのか思ってるのか
いちいち立ち止まりたい
いちいちむすんでひらいて

10代の終わりは沖縄で過ごした

絵日記#こんコロ6月2日「10代の終わりは沖縄で過ごした」
絵日記#こんコロ6月2日「10代の終わりは沖縄で過ごした」
絵日記#こんコロ6月2日「10代の終わりは沖縄で過ごした」

絵が描けなくなった
初めて心が疲れている自覚
自分でも自分にどうにか手当が必要だと感じた

スーツケースひとつ
キャンバスと絵の具も

海に1人で行くのは初めてだったかもしれない
波照間の海は
見たことない色をしていた
地球って丸かったんだな
初めて実感したかもしれない

こんなに静かな所に来たこともなかった
海は大きくて
安らかで
厳しくて
こっちにおいで
こっちにくるな
恐怖にも似た感動で
立ちすくむ
水に近づく一歩一歩に
勇気が必要だった

今あの色を見たい
あの色あの静寂あの安らかさ
心いっぱい吸い込みたい

鏡を見る時間が足りない

絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」
絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」
絵日記#こんコロ6月1日「鏡を見る時間が足りない」

10代の頃はいつまでもいつまでも鏡を見て過ごしていられた
自分を魅力的だと思っていたし、さらに魅力的になるにはと鏡を覗き込んだ
鏡を通して見ていたものは自分であり、同時に自分ではない何かだったのだろう

手鏡でなくてはならない
自分が1番魅力的に見える角度があり
その角度に手鏡を調整し自分を見つめた
見たくないもの いらない要素は見えないように

それは近視眼的で
自分との対話をする時間でもあり
自分という鏡面を通して
どこかにいってしまうことでもあった

なぜか安心した
広大なこの草原で
未開拓な場所があるこの地球で
進んでも進んでも終わりのない あるいは終われば飲み込まれてしまうこの宇宙で

10cm先に映る自分は自分であり
肉体と精神を持ち
この意識と呼べるものが入っており動いている
それは産み落とされたこの世で唯一の
しがみつくことのできるもの

大人になった私は
鏡を十分に見ていない

お気に入りの角度で
自分をもう一度見つめるといい