ファイティングポーズ

スポーツ選手は日々トレーニングして身体能力を維持したり向上する。絵を描くこともコツコツ手と頭を動かしていつでも準備を整える。毎日やっているだけで、昨日よりも頭の中でイメージできるものが増える。もちろん絵の画面の上も賑やかになっていく。ドローイング、模写、デッサン、落書き。時に画用紙に、時にiPadを眺め、絵を描き込んでいく。

でも、それが滞ってしまうこともある。急用が入ったり、家事をしたり、ライスワークの方が忙しくてゆっくり自分と向き合う時間がもてなかったり。続けることが大きな課題ともいえる。

僕はそのうち制作現場であるスタジオを開放したい。絵との向き合い方やプロセスを公開する。もしかしたらそこでワークショップをしたり、絵を売ったりしてもいいかもしれない。表現やものの感じ方を通じたコミュニケーションの場になる。そこでは、思考がある、経験がある、感情がある。全てのアプローチは実験的で、自然現象がそうであるように偶発的に物事が進んでいく。

今はオンラインで絵画教室とかワークショップとかする動きが急激に増えている。それはチャンスだと思う。世の中のニーズとは逆のことを言うようだけど、僕にとってはオンラインでできないことを理解するチャンス。

「この色が好き」「形に躍動感がある」「みればみるほど凄みを感じる」「作品のコンセプトは…」そういう今まで多くはギャラリーや美術館で語られていたことが、感情や感覚を含め、遜色なくネット上でも再現できる。実際に絵の前にいて、眺めることとの違いは、そういうどこまでも現実的な仮想の環境に慣れきった後に再び気づくことなんだと思う。

それはデジタルデバイスでの制作や鑑賞の仕方がこれからどんどん進化していくように、現物としての絵との接し方もこれまで誰も経験しなかった変化を生み出す。そういう未来を楽しみにしている。

だから僕は、デジタルでもアナログでも、線を引き続けることができる。

ちから

手が覚えている

絵を描く感覚って不思議で、毎日マイナーチェンジしていく。昨日ひけた線は今日は別の形を持って、それによってイメージも変化していく。その日一日のはじまりにドローイングをして肩慣らしをしている。絵を描く自分というパーソナリティに「今日はどんな感じ?」と調子を伺う。
 
ハナからいいときもあれば、手が全く固まって動かないときもある。だけどひたすら手を動かしながらチューニングしていく。日常の出来事が関連しているようで関連していないようで、何が影響してどんな状態になるのかいまだによくわからない。ダメならダメなりに記録として残しておいて、後から俯瞰で見渡すと絵描きライフのバロメータにもなる。
 
抽象的な絵をかくことは多いけど、最近はコロナ禍のドキュメンタリーマンガ#こんコロが期間限定のライフワークになっている。他にも日々の気づき、メモしたいことなども絵にしたい。それは頭の中から出かけていって誰かにシェアすることができるし、ウォーミングアップにもなるので、一石二鳥。
 
今日は、なに描こう。

ちから

絵とストーリーがつながる世界

昨年からマンガを描きはじめた。もともと創作のスタートは小学生の頃のマンガ創作だったので、コマ割りをしながら物語るスタイルが懐かしい。そもそもマンガという文化、表現自体、昔から親しんでいるものなので、なかなかしっくりくる形式

マンガも絵本も、絵と物語で世界観を表現するところが好き。最初に何かのきっかけ、誰かのセリフだったり、モチーフだったりから想像を膨らませて描く。ぼんやりとラストシーンはイメージするけど、描いているうちに変わることもある。そういうのが良かったり。自分が一番楽しんでできるから

小説だったら行間。マンガだったらコマ割り。絵本だったらページめくり。それぞれ飛び越えながら、イメージが次々に生まれていく心地。筋書きを一つ一つ積み上げていくのもいいけど、ときにはバラバラにして拾い上げて再構築したり、全然ちがうところからフレーズを持ってきてもいい

ちから